宗祖のことば ―伝教大師―

一隅を照らす、此れ即ち国の宝なり

『天台法華宗年分学生式』より

伝教大師最澄の最も有名なこのことばは、次のような一節に続いて書かれたものです。

国の宝とは何者ぞ、宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国の宝となす。故に古人言わく、径寸十枚是れ国の宝にあらず。

むかし、中国の魏王が、自分は、直径一寸もある宝玉を一〇枚も持っていると自慢しました。すると、斉王は、自分は宝物は持っていないが、立派な家来たちがいて、それが国の宝だと語ったという、故事があります。
伝教大師は、この故事を引いて、私たち一人一人が国の宝にならなければいけないと、説かれているのです。
「道心」とは、仏道を求める心です。天台宗の教えの根本は、すべて生きとし生けるものは仏になれ、仏への一すじみちをいく教えしかない、というものです。
皆成仏道(だれでも仏になれる道)の実現のためには、すべての他の人々が仏になることを手助けしなければなりません。
これが、一隅を照らすことであり、天台宗徒の生き方です。

天台宗のご本尊と歴史

ご本尊

阿弥陀如来(あみだにょらい)
釈迦如来(しゃかにょらい)など

脇侍

ご本尊に向かって右側…天台大師智顗
ご本尊に向かって左側…伝教大師最澄

天台宗の本尊と脇侍

宗祖

伝教大師(最澄)(767~822)

宗紋

天台宗の宗紋

お唱えする言葉

南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)

経典

『法華経』『大日経』『金剛頂教』『般若心経』『浄土三部経』

総本山

比叡山延暦寺 滋賀県大津市坂本本町
*「日本仏教の母山」と呼ばれています*

教義

お釈迦様の最高の教えである法華経を最高の経典として、「人間だれでも仏性がある。それを開花するように努力すればだれでも仏になることが出来る」と教えています。

天台宗の歴史

 日本の天台宗は、今から1200年前の延暦25年(806)、伝教大師最澄によって開かれた宗派です。
 比叡山で十三年間修行を積んだ最澄は、三十八歳のとき、遣唐使の一員として唐に渡ることになりました。このとき唐に向かった船は、全部で四隻。この中には、空海が乗った船もありました。途中、激しい暴風雨にあい、遭難する船が出るなど、航海は困難を極めました。しかし、最澄と空海が乗っていた二隻だけは、かろうじて唐に漂着したのです。こうした苦労の末渡った唐で学んだものをもとに、最澄は天台宗を開いたのです。
 しかし、その当時の仏教とは激しく対立しました。仏陀になるための修行方法は、人々の性格や能力によって違い、仏陀には縁のない人もいるというこれまでの教えに対し、最澄はだれもが仏陀になれると主張したのです。
 また、奈良でしか僧として認められないという制度にも反対し、政治権力と結びつかない仏教をめざしました。

天台宗の主な年中行事

行事
1 1 修正会(しゅしょうえ)
新年の除災招福・豊穣安穏を祈願する法会
1 26 開宗記念法要
2 上旬 節分会(せつぶんえ)
立春の前日で、新春を迎えるにあたって行われる除災招福を願う法会
2 15 涅槃会(ねはんえ)
お釈迦さまが亡くなられた日に、そのご遺徳をしのんで、涅槃図などを掲げて行う法会
3 下旬 彼岸会(ひがんえ)
春分の日の前後三日間
4 4~11 御修法大法(みしほたいほう)
4 8 花祭り・潅仏会(はなまつり・かんぶつえ)
お釈迦さまの誕生を祝う法会
6 4 山家会(さんげえ)
宗祖伝教大師最澄さまの忌日に、その報恩謝徳のために修する法会
8 13~16 盂蘭盆会(うらぼんえ)
一般的にお盆といわれています
8 17~18 伝教大師誕生会
9 下旬 彼岸会(ひがんえ)
秋分の日の前後三日間
11 24 霜月会(しもつきえ)
中国天台宗の高祖天台智者大師智顗さまの忌日に、その報恩謝徳のために修する法会
12 8 成道会(じょうどうえ)
お釈迦さまがお悟りを開かれた(成道)のを記念して修する法会
12 31 除夜の鐘
泉屋運営の霊園パンフレット・仏事の基礎知識の資料請求・お問い合わせ
泉屋運営の霊園見学のご予約フォーム
Shop List 泉屋仏壇店一覧
Soul Garden List 泉屋運営の霊園一覧
Funeral Link 泉屋葬儀・家族葬サイトリンク