奈良に都のあったころ、中国へ使いに行った遣唐使が、彼地(かのち)の女性との間に一児をもうけた。
一説によると吉備真備(きびのまきび)といわれるその遣唐使は、いよいよ日本に帰るという時、子供は迎えに来るまで大事に育てるよう頼んだ。
しかし何の便りもない日々が続き、ついにその仕打ちに腹を立てた母親は、子供の首に「遣唐使の子」と書いた札をつけて、海へ流してしまった。
大海の中に流された子供は、幸い大魚に救われ、難波(なにわ)の浦(現在の大阪湾)に無事到着し、父に対面できたという。
この子供は、魚との不思議な縁(えん)にちなんで魚養(うおかい)と名づけられた。
魚養はその後、修業を重ねて医術、書道にも優れた高僧となり、十輪院を建立(こんりゅう)した。
現在も十輪院内に残る魚養塚(ぎょようづか)は、魚養の墓といわれている。
十輪院地図
アクセス
近鉄奈良線「近鉄奈良駅」より徒歩約17分