彫刻の麒麟(きりん)が暴(あば)れた茶臼(ちゃうす)の挿話(そうわ)<br>金の茶臼(ちゃうす)と佛隆寺(ぶつりゅうじ)

第六話
 

寛文(かんぶん)年間(約3百年ほど前)、宝生寺の南門といわれてきた佛隆寺(宇陀郡榛原町赤埴(あかばね))に、側面に麒麟(中国の想像上の目出度い動物)を彫刻した石の茶臼があった。

重さ25キロほどのこの茶臼は、その昔、弘法大師が唐より帰朝の折に、唐の徳宗(とくそう)皇帝から拝受された寺の宝物であった。

さて、ある時、宇陀の松山城主・織田長頼(ながより)は別荘を築き、お茶会を催したがその際、この茶臼を権力で強奪し一向に返す気配を示さなかった。

やがて夜毎に獣(けもの)が出没しては、城中を暴れ回り器物を壊してしまう。
よく見ると茶臼に彫った麒麟のしわざであった。
城主長頼は立腹して臼を庭石に投げつけ、ついに寺に返したという。

この時の傷を金で補修して以来、この臼は金の茶臼と呼ばれ、今も佛隆寺に現存している。